プロフィール

yuki arai
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プロフィール

基本情報

鹿児島県鹿児島市在住
氏名:新井有希
家族:5歳年下の夫・(2013生)4年生の娘・(2019生)3歳10カ月の息子
住まい:2018にリノベーションした築40マンションを5年で手放し
2023からシンケンスタイルで建てた戸建てへ

保有資格

2016 ライフオーガナイズザー二級認定講座
2017 ライフオーガナイザー🄬一級取得
2018 整理収納教育士
2019 親・子の片づけインストラクター2級
2020 マザーズコーチングティーチャー取得(退会済み)
2021 マネーライフプランナー
2022 住宅収納スペシャリスト

受講歴

2016 潜在数秘術ライフオーガナイザー2級認定講座
2017 メンタルオーガナイズエッセンスセミナー
2018 メンタルオーガナイズ(セルフ)時間のオーガナイズ講座
2019 妊娠~産休中は出産準備や自宅の環境整備など
2020 マザーズコーチング・モンテッソーリ教育について受講

活動実績

2017 知り合いを中心にモニターさん宅の片づけ
2018 キッズパズルワークショップ・なかまっち無料相談
2019 協会チャリティーイベント運営実行委員
・・・幼稚園・マルヤガーデンズ・かるなびにて各種片づけセミナー
2020 鹿児島市私立幼稚園PTA連合会3ブロックセミナー
2021 家庭教育セミナー多数

セミナー開催実績

開催実績

サイトのコンセプト

私が片づけ下手になった理由

私の実家はいわゆる汚部屋
幼少期から、片づけを見て学ぶ機会もなく

おまけにHSP気質により、
物心ついた頃から『他人軸』で」生きてきたので、
『自分軸=自分らしい判断基準』が適切に育たなかったから
自分の基準で物事を取捨選択できず
30年間、片づけ下手だったのだと考えています。

幼少期の頃から、片づいたことがなかった

私の両親はいわゆる『団塊の世代』
実家は自営業を営んでいて、時代もあって安定した生活を送ってはいました。

が、物心ついた頃から家は無秩序な状態の中で育ち

学校に忘れ物をするのは当たり前

チラシで足を滑らして転ぶ

など、
とても『落ち着ける家』ではありませんでした。

と、同時に母は自分の価値観以外を理解できない人で

しょっちゅう幼い私に『早くしなさい』とまくしたて

イライラしては無視されていました。

その当時からHSCだった私はそんな母の様子を見て

『もっとがんばらなきゃ』

『私がいけないことをしたから怒っているんだ』と

周りの様子を敏感に察知したり、

過剰に頑張りすぎるのが当たり前になっていきました。

反抗期

そんな風に育てられたので、中・高の反抗期はとてつもない反発でした。

段々と自己表現する中で、親から離れたい一心で

高校を卒業後、県外へ就職し寮ぐらしをはじめます。

はじめての就職

本当は、学校卒業後、『ものつくり業界』の学校へ進学したかったのですが

その頃の私は、HSP気質もあって適切に親へ相談することもできず

最終的に『学びながら仕事になる』とうたっていた某洋裁工場へ就職します。

そこがまた、とんでもない場所で

会社の言う学びは『洋服を実際につくつこと』でした。

憧れの『ものつくりの業界』ではありましたが、

あくまで仕事

学生のような感覚で入った私達からしたら

ノルマや長時間の拘束時間は18の子どもには耐えがたく…

一年以内に半数が離職

その後も、毎年半数になっていきました。

社会は厳しいと痛感しつつも頑張りましたが、3年後に離職。

その後、東京へ
はじめての一人暮らし

離職してから、実家で免許を取りつつ半年間ほど過ごし

その当時まだ21歳だったので、次は東京へ行きたいと田舎者の私は胸踊らされていました。

学生の頃の夢をあきらめきれず

『ものつくり』の学校へ

それだけでは生計が成り立たないので、

呉服店でバイトをはじめます。

家族経営でほのぼのとした、

そのお店では本当に良くして頂き

未だに年賀状をやりとりするほど

貧乏暮らしでしたが

学校では同じ志の仲間と勉強し

職場では着物の知識と着付けを学び

一番楽しい青春の日々だったように思います。

1人暮らしの部屋が段々散らかるように…

一人暮らしが3年過ぎた頃引っ越しをしたのですが

恥ずかしい話、自分の持ち物の多さを全く理解できておらず

お願いした引っ越しのトラックに荷物が半分以上入らないという経験をします。

片づけを学んだ今思い返せば、

幼少期の頃から

『今使っているかどうか?』や

『本当に必要なモノを選ぶ経験』

『取捨選択』といったことをしてこなかったから

当然といえば当然なのですが、

当時独り身の私はそんな反省をするワケでもなく

次の引っ越し先でも、

自分なりには雑誌を読んだり勉強して

どうにかこうにか『片づけ』ながら過ごしていました。

そんなふうに20代のほとんどを東京で暮らしました。

今の夫と出会い、鹿児島へ

2010年
いまの夫と出会い、一年半ほど東京で過ごしましたが(関東在住は合計7年ほど)

結婚を機に実家の近くへ帰る事になりました。

その時の引っ越しの荷物も思い返せば不要なものが殆どでしたが、

その当時の私には『要・不要』の判断がいまいち分かっていませんでした。

2012年の春、30歳になる年に結婚

すぐに子どもにも恵まれ、30歳のうちに出産

大変なのはここからでした…

産後鬱・育児ノイローゼ・部屋はぐちゃぐちゃ・・・狭心症

心の中が一番ダークな数年間でした。

そして、娘が3歳の頃

心労で狭心症になりました。

その時夫に言われた一言が『好きな事していいんだよ?』でした。

きっと、それまでも夫は同じ様に思って伝えてくれていたと思うのですが、
常に気ぜわしく過ごしていたその頃の私には届いてなかった。

そう言われて、
やっと周りを見回した時に思ったのが『片づけたい』でした。

20代の私は

結婚して、出産したら無条件で幸せになれると信じていました。

でも現実は真逆

不慣れな家事と育児を
無理して頑張れば頑張るほど、
イライラして夫にも娘にも嫌な対応をする事がどんどん増えました。

振り返って考えると
もっと上手に周りに頼れたらどんなに良かったかと思うけど

その頃の私は、『ひとりで頑張らなきゃ』としか考えられなかったし

自分の子どもの頃に受けた事しか、夫や娘に表現できなかった。

ずっと『どうにかしたい』とは思っていて、

本を読んだり、講座も受けにいったけど

何をやっても一時的な効果しか得られなかった。

そんな頃ライフオーガナイズと出会います。

2016年 ライフオーガナイズとの出会い

狭心症を患ってしばらくした頃、書店でライフオーガナイズの本を手に取り

漠然と『この片づけ方なら上手く行く気がする』と感じました。

帰って夫に、『熊本までこの講座を受けに行きたい』と話すと

驚いた様子ではあったものの賛成してくれた。

11月の熊本は予想以上に寒かった。

当時はオンラインでの受講などないので

対面で会議室で一日かけて2級講座を受講

その中で先生が言っていた内容は驚くものばかりでした。

『片づけられなくても死にはしない』

『自分に合う方法をみつけることが大切』

もう目から鱗が落ちるとはこの事です!

今まで、私は雑誌などのように『見た目を整える』のが片づけだと思っていました。

だけど、本来の片づけ(整理・収納)は

『そこに暮らす人が心地よく過ごすための、使いやすい仕組みづくり』だというのです!

そして、『心地よさ』や『使い勝手』は住まい手・使う本人にしかわからないという事!

※ライフオーガナイズでは特にその部分に特化しており、
整理・収納をはじめる前に
自分にとっての理想・目的を整理するプロセスを重視して『思考の整理』と読んでいました。

私の理想は家族が笑顔になる片づけ

受講当時
2級講座の中でも理想について聞かれたのですが、

その時私が、自分で書いたのが『家族の笑顔』でした。

約4年かけてその理想が叶ったように感じます。

コンセプトは家族が笑顔になる片づけ

そんな背景があり

いくら、見た目の美しい収納に囲まれていても

家族関係がギスギスしていたら、『心地よい住まい』にはならないと私は感じています。

また、逆に多少散らかっていても『家族が笑顔で過ごせる』のならそれでOK

でも、家事・育児のメイン担当であるお母さんが『片づかない事でイライラ』してしまうのは論外なので、それなりにサッと片づけられる『仕組み・考え方』は必要不可欠

その辺のバランスも、お母さんの個性・家族との協力関係で変わってきますが、その家族の今のベストな状態は必ずあるはずです。

それを、一緒に模索する片づけ屋さんになりたいなと思ってます。

大切にしたいこと

コストと手間を削減して、
より大切なことに
時間とお金を使いたい

このコンセプトを実現するために、実際にしているコトや考え方について書いています^^

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